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7月24日通り/吉田修一 [本]

那須への行き帰りは、本を読むのに丁度良い時間。
車より電車が好きなのは、きっと、この時間があるから。
運転は、やっぱり面倒だ。

さて、本書を持って、吉田修一は、コンプリートだと思う。
これからは、新刊にお世話になって生きなくてはならない。
まぁ、昔の短編とかは読み直してもいいな。

この本は、少しだけ敬遠していた。
映画化されたのが、その要因だが、「何か違う?」感があった。
勝手な吉田修一像の中で異色な作品に思えていたのだ。

その違和感は、読み出してからも、結局読み終わった今も、ある。
それは、きっと求めていたものが無かったから。というのが一番近いかな。
しかし、じわじわと、この作品の細部の良さも染みでてきている。

一行で描写しきるテクニックは、やはり随所に顔を出し、
なんと言っても、街をリスボンに置き換える所とか、めぐみや絵描きという人物の
挿み方の上手さ。映画化が十分に納得出来る、素晴らしい脚本だ。
あ、そうか、今これ書いてて分かった。感じた違和感は、あまりに出来の良い脚本の
ようなのだ。勿論、他の彼の本も話の作り方はかなり上手い。しかし、今回は、それが
目立ってしまっている、彼の筆力以上に。
まるでハリウッドの大作のようにきちっとしている。
ラストの停電の所が、ホントそんな感じ。「え?そこまで極端にふる??」って思った。
これ、ホント映画が似合うだろうなぁと感じた。はなから映画化をする為に本を書きに
いったのかな?

しかし、それ以上に、最後のシーンは衝撃である。
絶対的な逆転にフル展開を見せつつ、も一回フル。
ここだけは、映画的表現ではなく、文学的な表現の強みを最大に生かした手法だ。
言葉の余韻を残す。
映像でも描けるだろうけど(で、実際描いているんだろうけど)、3秒で描けるシーンでは
無いだろうな。音楽やナレーション、その後の展開を加えるなど様々な事が試みられているんじゃないだろうか。それは、確認しないといけない。
もしや、ここを強める為に、今までの全てがあるのか?と疑いたくなった。

あと、そうだ。主人公に微妙に感情移入出来なかったのも、違和感なんだろう。
女性の、いや、ジェンダーの話ではないかも、主人公の異性に対する考え方に、全然共感
出来なかったんだな。個人の考えからも、男性としても、ちょっとダメだったなぁ。
その偏狭性が、十分話に活かされていると思えるし、この程度の振り方は一般生活の一部としてものすごくリアルだと思う。ただ単に俺が女性の事を全然分かっていないだけのような気がする。

本として楽しむより、脚本を考える時の最良の書という感じです。
うむ。


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