SSブログ

悪人 [映画]

映画「悪人」を観た。

まず、始めに言ってしまうと個人的には今年no1作品になった。
元々のぶっとい原作を完全に掌握して、演出をした監督の力量は、ものすごいモノがあると
言わざるを得ない。
名優たちの優れた演技をお互いに信頼し、演出を徹底して、アップの映像がとても多かった。
被写界深度もギリギリまで上げて、ほとんど顔以外はボケていて、迫力と説得力が凄かった。
あすこまでアップにしてブレない演技は、正に名優たちです!
大体あれだけアップを多用したら普通飽きるというか、話が破綻してしまいますよ。
それをあえて、あえてというか、あの演出しかなかったんだと思う。
人間の感情の深部をえぐり出すには、説得力のある”顔”が一番だと思う。
樹木希林、柄本明、満島ひかり、勿論、妻夫木聡と深津絵里。
あれだけ徹底出来るのは、演出の確かさと俳優監督の信頼感、それが生み出す作品としての強さ
色々な要素が揃わないとありえない作品だ!と思った。

ローケションも頭にあったシーンが完全再現されていた。これはもしかしたら既に原作が描かれて
いた時点で吉田修一が、その場所を念頭に小説を書いていたのかもしれないけど。小説を読んで
浮かんだ風景とほとんどズレが無かった。それを忠実に再現していた。ロケハン能力、間違いない演出
これらもまた物凄い力強い作品を作り出す原動力になっていた。

それにしても深津絵里という女優は何なんだろう。。人格が完全に入ってしまうんだろうか。
途中、逃亡を始める前に抱かれた後から顔が変わっていた。勿論端的な演出もあるのだろうけど、
あの心の精神の深部から出てくる顔はなんだったんだろう。。脚本と原作と演出とから汲み取った
ものがどうやってあすこまで身体に宿ることが出来るのだろうか。

作品のストーリーの多重構造化と登場人物達の精神的多重化とが、ガチガチに絡みあって、この悪人という作品を形作っているのだと思うのだけど、それがきちんと伝わってきて、何度か心が悲鳴を上げて震えてしまった。泣けるというより心臓を直接掴まれるような精神をナイフで傷つけられるような、肉体的な痛みを伴った涙だった。涙というかチープですが「心の叫び」だった。
感情を形に表せないから叫ぶしかないような痛さだった。

まぁとにかく、見所が満載だったんです。演出、俳優、ストーリー三位一体の揺るがない力強い作品でした。


と、ここまで絶賛なのですが、悲しいかな、自分の中では原作の小説を超えてはいないな。
という風に見えてしまいました。忠実で完璧なんだけど、完璧すぎる故に同じ感情を得る事が
出来た小説のほうが強く心に残ってしまうのです。到達点のゴールが一緒だったんです。
それ故にすでに感じた感情がまた湧き上がってきただけになってしまったのです。
もうなんだか、これはどうしようもないのかもしれません。
仮に映画を先に観ていたら、物凄く感動して、逆に小説には感動しなかったのかもしれません。
また、映像というマルチな表現と活字という表現で同じ境地に達したと考えると、本という
チープコンテンツで、ここまで心を震わす事が出来るのかと思ってしまったのです。
分かりやすい言い方をここでする意味があるか分かりませんが、映画がこの一年でのNO1だとするのですが、小説はここ5年とかのNO1なんですよね。

小説表現で、人間の深部にここまで迫ることが出来るのか!と読んだ当時、そしてその後に年月が経ってあらためて見えてくる吉田修一の描き出す能力才能にただただ今でも感嘆しているのです。

それを映像で描き出し、同じポジションまで来たというのは十二分に凄い事なんですけどね。。
ホント映像化は無理だと思ってましたもん。仮にしてもつまらなくなるだろうと思ってました。

映画の「悪人」は、それこそ誰にでも堂々とお勧め出来る作品です。
それこそオススメするという意味では、小説よりおすすめが出来ます。

久しぶりに、いやもしかしたら自分の中で史上初めて、97点と99点で優越がついてしまった
忘れることが出来ない作品に出会えました。この監督さんはこれからもずうーーっと追っかけて
いきます。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

シャッターアイランド [映画]

シャッターアイランドを観た。

お話のどんでん返しや、複雑さなど映画たる部分も沢山あったし、
ディカプリオの演技も良いのだけど、、、

何故スコセッシがこれを撮りたかったんだろう?というのが見えて来なかったのが
一番納得がいかない所だった。
ウム。。。良い脚本、良い役者、十分な予算に囲まれていたら、
この位の映画はスコセッシでなくても撮れると思うのだ。
それを敢えて取り組んで、何かそれ以上のもの。そういうモノが見えてこなった
というのが、どうにも不満なのです。
そして、映画が始まるまえに「色々仕掛けがあるから、よーく観て下さいね!」
なーんて、わざわざ断わりを画面で入れる所。これはスコセッシの意向とかでは
ないと思うけど、そこまで観客を教育しなければいけないのか??

この演出(と敢えて言うけど)は、客を馬鹿にしているか、
もしくは自分の映画に自信がないのか?としか思えなかった。

確かに最後、そして最後の最後は、かなり複雑で、それが映画のラストをとても
味わい深いものにしている。
だけど、スコセッシの演出、ストーリーの運び方、そして十分に説明を挟み込める上映時間
を考えると、あんな文字は出す必要はない!
ちゃんとラストシーンの意味は通じると思う。
最近の客は、よっぽど馬鹿なんだろうか??
1800円もの金を払って、こちらの観る側も真剣なのだ!
まぁ、もしかしたら、俺が古い人間で、映画が大好き過ぎるだけなのかもしれないけど。。

ネタバレになってしまうので、あまり内容には触れないけど、
ラスト近くの、湖畔の家のシーン。あの映像美!!
あれを期待しているのだ!私は!スコセッシに!!
また、捕虜にした人間を並べて撃つ時のレール撮影!も好きなシーンでした。

ディカプリオも流石!の演技です。あのくたびれた感じなのに眼光だけは異様に鋭い
というのは、この映画の配役にピッタリの役作り。
ただ何だろうな、、、
あの緊張感を敢えて外すシーンが必要なんじゃないかなー。それが頭痛を伴う所なのかな。
あ、洞窟のシーンはそんな感じか。

スコセッシという部分を抜けば、映画として大変面白く、結構一般受けもすると思う。
暗い話だけど、とても映画的な話だ。(一般的にね)
自分の興味と映画に観たいものが噛み合わなかっただけで、
エンターテイメント映画と張り合える面白い映画だと思う。

映画に何がしかの娯楽性より芸術性を求めてしまう傾向が最近の自分にあるのかもしれない。
なんか、自分の側に問題があるような気がしてきました。
ただね、映画を愛しているのなら、テレビのような文字の説明演出はしてはいけないと
思うのだよ。映画にとって、とても厳しい時代なのかもしれないね、今は。
たくさん観に行かなきゃ!!
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

エヴァンゲリヲン新劇場版:破 [映画]

エヴァを見ていると、どうにも日本のことを考えてしまう。
このような作品が生まれてくる背景。というようなもの。

宗教を持たず、経済的にも他国より明らかに裕福で失業率が低く、
原爆を落とされ軍隊を持たず(結局、これが一番大きいのかもしれない)
器用で勤勉。

この映画の成立する条件が、ここ日本にしか存在しないと思う度に、
誇っていい気持ちと、怖い気持ちとが交錯する。

だけど、やはり映画としては成立していると思えてて、
カタルシスも感じることが出来る自分が居る。

もうなんて言っていいか、表現として、鮮烈すぎるというか、
比べる相手が、キューブリックとかになってしまう。
ただ、キューブリックのように世界的に広がって行くとは思えないけれど、
この先鋭的な映像を一表現と言っていいと思うのだ。

人類は、進化をしていく。
そのスピードは単位があまりに大きいので普通感じる事は出来ないのだけれど、
この作品を創れる脳というのは、明らかに進化の具体的な形ではないのだろうか。

内容について、言うことは、何もない。勿論好きではある事を前提として、
表現を極めて、続きをみせて欲しい。
続け、完結させる事が、この映画を創る事の使命だと思う。
人類の進化を担っているのだから。

ただ、この日本での、この進化が、人類の未来の進化とは、どうしても思えないんだけどね。
亜流は、どこかで先細り、淘汰されていく。多分、どこかで途絶えるだろうな、と思える。
ただ、融合はされてDNAには残るだろうけど。

そんな大きな事にさえ、考えが及んでしまう。
エヴァという作品は、作品自体が描いている世界に人類を導く作品なのかもしれない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

バーン・アフター・リーディング [映画]

全く、よくこんな複雑怪奇で緊張感ある緩い映画を撮る事が可能になるもんだ。

常に新作が気になる、コーエン兄弟の作品。

この空気感は、ホント彼らのものだなーと思う。
全く緩んでないんだよ。
ちゃんと緊張感があって、観ている方も、それなりに画にきちんと相対しているんだ。
でも、所々の、なんとも言えないホントの緩みと、
緊張感があるのに、その中を粒子のように緩さが飛んでいるような画作りが、
全編で恐ろしいレベルで展開されているから、逆説的にも、観ている方も気が抜けない。
緩む時を見逃してはならぬ!みたいな。

それは、勿論、脚本と演出がしっかりしているからに違いない。
全く、これも、一体、どうしたらこんな脚本を思いつくんだろうね。
ホント楽しんで、このホンを考えたに違いない。
ストーリーを全く人に説明出来ない。そうCIAさえ説明出来ないように。
なんて言うか、プロの脚本のみを仕事としている人間には思いつかないだろうし、
初めから自分たちで映像化する事が分かっているからこそ書けるホン。そんな気がする。
つまりハナからコーエン兄弟にしか創り得ない作品なのだ。

このような映画が、存在出来るのがアメリカなのだ。
それこそ、アメリカのどうしようもない土地の広さの象徴のような気がするのが、
コーエン兄弟なのだ。奥の深さとかではない、どうしようもない広さ。
だだっぴろさ。どんなものでも受け入れる深さじゃない広さ。
コーエン兄弟の作品を観ていると、アメリカという国の結構大きな一側面を感じる。
例えば、人口の7割の人が自国から出た事が無いとか、銃や殺人の数の多さとか、
単純に負と言い切れない何か。その象徴としてコーエン兄弟は作品を産み出している。
それも、勿論自覚して。

役者についても、何か書こうと思ったけど、クルーニーもピットもマルコビッチも他の脇役に
至るまで、コーエン兄弟の描きたいものが分かっている。いや、コーエン兄弟の演出に全幅の
信頼を置いて演技をしている。のだろう。作品とのマッチングは完璧だ。
とにかく、どんな所からもコーエン兄弟の息吹が感じられる。

正直、人に勧められるかと言えば、勧めるような映画じゃない。第一説明出来ないんだもの。
ただ、アメリカというだけでなく、映画というジャンルそのものを広げ続けてくれるのは、
間違いなくコーエン兄弟で、そんな風に映画を愛せる人は、勧めなくても、彼らの事は掴んで
劇場に足を運ぶと思う。

彼らは、やっぱり映画を撮る為に産まれて来た人々で、そんな人たちの作品を観るのは、
映画ファンのひとつの楽しみなのです。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

KING OF TOKYO O FILME [映画]

KING OF TOKYOアマラオのドキュメンタリー映画。

今年行われた引退試合に始まり、彼の生い立ち、軌跡を様々な人たちのインタビューを交えながら構成されたドキュメンタリー映画。最後にまた引退試合に戻って映画は終わる。

正直な所、アマラオが在籍している時からFC東京のサポーターをやっている人間に取っては、
出てくる話、エピソードは、それこそ子守唄のように、見知った事柄である。
勿論、ブラジル時代の話などは、直接関わった当事者達が出てきて話す事だから、特別な事だと
思う。ただ映画という表現から来る感動というものはない。
(でも伝説の90分アマラオコールの話は何度聞いても泣けるが)

ただ、この映画を作ろうとした一番の動機というか、意味は、正にアマを『歴史に残す。』という事なんじゃないのかな?と思った。
これは、私の映画感ではあるが、上映される映画というのは、確実に人類史に足あとを残す事になるのだ。
と思う。勿論フィルムという形としても残るし、映画館の上映記録としても残るしだが、
音楽のリリースの事を、「ドロップアウト」と言うように、
映画上映というのは、この「産み落とされる」という感覚がある。

だから、この作品は、DVDの発売だけでなく、映画館で上映したという記録と記憶を取った事が素晴らしい事だと思う。これによって、極東のフットボールリーグで確実な人気を得た一人のブラジル人プレーヤーが居たという記録が、事実が、世の中に完全に産み落とされたのだ。

世の中には、それこそサッカーというジャンルだけでも、たくさんの映画がある。ちょっと前にペレの映画もやっていたし、FIFAが協力した映画もちょっと前に造られたしね。
その流れのひとつにこの映画も乗ったんだと思っている。映画は世界の共通言語だから、この映画が、世界のどこかの映画館で流れる可能性はゼロじゃない。

この映画を造った人たちは、そういう事実を分かっていて、ドロップアウトをしたような気がしてならない。少なくとも商業主義では全く無い。と思う。儲けるだけならDVDリリースだけで、だいたいの売り上げがはじけちゃうもん。この映像の持つキャパなら。
ただ、楽しい。という場所は越えて、映画として映画館でリリースする事実の意味性を分かってる感があって、とっても素晴らしいと思った。
アマラオという人間が、地球の人類史に刻まれたのだ。
地球規模のフットボールの歴史の中にも。

俺たちにとっては、勿論世界にひしめくスター選手達と同列の、いやそれ以上の扱いである彼の、
なんというか普遍的な人間としての暖かさは、フィルムに刻まれていた。と思う。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

グーグーだって猫である [映画]

猫の映画である。街の映画である。そして、人の映画である。

元々漫画である作品なので、なんというか、ある程度のチカラワザは、ある。
(楳図かずおとか、追いかけっことか、殺陣のシーンとか)
でも、そのチカラワザを越えた地点に到達しているカタルシスが存在するので、
映画として、「いいんだなー」と思える。
俺にとってのカタルシスは、チアのシーン。
脈絡とか流れとかを越えて(でも越えてなくて、感情を表すシーンとして脚本の流れからはとても素直)ぶち抜けてる。
映画っていいなー。って思えた。
チカラワザのシーンも、脚本の大きな流れから行くと、とても素直ですばらしい脚本です。

ただ、悲しいかな気づいてしまった事。
俺は、猫という生き物を理解出来ていないようだ。
そこの部分で最終的な感情移入が出来なかった気がする。
「かわいいねー」という見方だけでは、何も見えて来ない気がする。
逆に言えば、猫を飼っている方には、たまらなく入って行ける映画なんじゃないだろうか。

街の部分も、、、ちょっと違った。。。
私は吉祥寺の住人なので、説明はいらないし、場所はほとんど知ってるしで、
画の切り方が自分なら全然違う。特にビル等をメインの風景のショット。
(但し、井の頭公園に関しては、ガチっと綺麗にハマった)
ムチャクチャ言うけど、説明ショットを省いた吉祥寺住人バージョンを作って欲しい。
(その代わり、エピソードを増やしてね)

人の部分。
出演者の人選は完璧!!これはすごい!!
言い出したらキリが無くなってしまうけど、特に上野樹里という女優は、やっぱり「持ってんなー」
って思った。女優になるべくしてなった人だな。
あと、サバの女優さんも気になりますね。不思議な人だった。
上でもちょこっと書いたけど、脚本の流れがとても素直で、これが脚本!みたいな凄さがあった。
人の感情が素直に動いていく。動いていく時にチカラワザ(と呼んでしまったけど)の喜劇シーンを
入れる事で素直になった。漫画を未読なので、あまり勝手な事は言えないが、このようなエッセイっぽい
漫画を映画に興すとしたら、このようなやり方が、一番素直だったに違いない。
それに気づける脚本家(監督さんだけど)の力量はやっぱりすごい。

映画の宣伝パンフを観て一番気になっていた、西公園のシーン。
別に西公園である必要は無かったみたいね。
あれが、逆説的に一番吉祥寺という説明をする必要も無いロケーションだったというのが、
なんだか、おかしいやら悲しいやらホッとしたやら。。。
俺に取っての吉祥寺のNO1スポット故に、あの公園を、あの公園の良さみたいのを全面に出されてしまうのか?!と危惧していたけど、良かった。。。
ケヤキの木は全く写されなかった。。。あのケヤキを中心に据えると、あの場所だけで、映画が出来上がってしまうからね。むしろ中途半端にも出さなかった犬童監督の演出とロケを見る目のすばらしさでしょう。

音楽の事は、先に情報を入れるんじゃなかったな。。。
流れたとたんに「細野さん」と思ってしまうので、とってもいいんだけど、少しだけ画から気持ちが離れてしまった。

綺麗な映画。
やっぱり映画。
分かる映画。

映画という表現が素晴らしい!と思える映画でした。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

崖の上のポニョ [映画]

ぽにょ。って来た。
観る前は勝手に少々重い話も入って来るんじゃないかと思っていたけど、ぜんぜーん!
単純に見て楽しめる映画になっていた。
まず、このような作品を創れる宮崎駿監督の若々しいエネルギーを賞賛したい。
5歳の男の子と女の子の話を67歳の監督が創る。それも現代的な視点も持って。
これは離れ業であるし、本で読んでしまったから知っているのだが、これは
製作期間を長く取れたおかげだと思う。間にゲドが入ってくれたからね。
考察する時間がたくさんあったわけです。逆にそれじゃなくては、ここまでの爽快さと深さを
持つ作品は創れなかったと思う。(わからんけどね。)

次に、アニメーションとしての遊び心と画が動く事の歓びが溢れているのが、
観ていて、ホントに気持ちいい。
現実じゃあり得ないような事を遊び心として描く事はホントに気持ちいいものだ。
勿論、ハナから実写じゃ無理な表現やCGでも可能かもしれないけど全然違うものに
なってしまうものもあるから、どれが良いという話ではないのだが、
”アソビゴコロ”。これが大切!
車のシーン。うじゃうじゃいる海洋生物たち。目がついた波。ポニョの顔の七変化。
天を舞う子ポニョの変身。etcetc.
絵だけで笑わせる事が出来る事。この楽しさ、気持ちよさが満載であった。
素晴らしい!

そして、もちろんそのような事だけじゃなく、深く読み取りたくなる部分(それが監督の意図する
所とは違うとしても)もある。
一番違和感があったのは、監督さんも意識的にやっていると言っていたみたいだけど、
ソウスケが、お父さん、お母さんを名前で呼ぶ所。これは本人の自立を表しているのだと思う。
こうゆう話は、他者と出会う事で、本人が成長するというストーリーになるのだが、
既にソウスケ君は、なんかとっても自立した子供のように見える。
(しかし、それが行き過ぎないようにお母さんが見つからないと泣いたりする。)
それと相まって、5歳のポニョ(とソウスケ)が、ポニョが人間になる事を本人達に選択させる事。
俺は初め、5歳の子供に、こんな重大な選択を軽々させていいのだろうか?と感じてしまった。
だが、その行為自体を肯定的に考えるとすると、5歳という年齢、つまり子供であるという事で
親の勝手な意見を押し付けてはいけないのだな。思った。
これは主人公が5歳だからこのような疑問が起きるのだが、
年齢と関係無く自立した個人として、人を扱う事。
他を尊重する事の大事さを監督さんは言いたかったのではないかなと思った。
自分勝手な人が多い世の中に対する警鐘かなと思った。
そういう意味で対としてお父さんを出しているのかも。(でも全然憎めない良い人。)

あとは、これは老練な監督さんだからこその作家性のような自分の理想とする世界を出していたのも
良かった。あの幼稚園と介護ホームが併設しているというカタチ。
今、多分ああゆう形を取った施設は無いんじゃないかな、まだ。
あれは、監督さんの中にある理想の相互の学びとエネルギーの交換が出来る場所だと思う。
自分の考える事、それもこれほど具体的なプランを堂々と入れているのは、いいよね。
これほどの規模の映画でも、いや、これほどの規模の映画だからこそ、自分の主張を入れるべき!

個人的には、宮崎アニメの集大成的な感じで、とにかくすっっっごく!!!良かった!
アニメの爽快さ、優しさがいっぱいいっぱい詰まっていた!
傑作だと思います。

P.S.どうでもいいけど気になった点。コウスケが帰れなくなってリサがふてくされている所で、
やっとソウスケの気持ちに気づいてリサが元気になる所。リサの台詞「私は〜元気〜」は
トトロの歌の節です。みんな気づいたよね!?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ノーカントリー [映画]

観終わった後、すぐは、全然ピント来なかった。
ただ、外に出て、宣伝用のポスターと一緒に貼ってあった感想をみて、「おお!」と思った。
観る基準を社会性に置くのではなく、ノワール映画とすると、むしろすっきりして、且つそれ以外に
孕んでいる部分も鮮明になった。

確かに、強烈な犯罪映画である。
迫り来る恐怖感やあの特殊な武器の不気味な感じ。
そして勿論、殺人鬼のキャラクター!
どれもこれもが、暗い緊張感を常にたたえていた。

こちらの方面から見ると、警官のエゴや人々の適当さや不道徳さが見えてくる。
アカデミーで作品賞を取ってしまったから、映画を観る目に変にフィルターをかけてしまったのだ。
メキシコとの国境線周辺はこんな風に常にきな臭く、ムチャクチャが横行しているんだろうなぁと
リアルに思える。それは、ノワールと共に描き切れていると思う。

俺は、コーエン兄弟の中にある、”笑い”の要素が好きで観に行くのだが、今作は、それが抑えられている
。もう無理矢理にひねり出すならば、トミーリージョーンズか、主人公のカミさんのお袋さんが、それに当たるのだろう。
そういう意味では、かなり正統派に属する作品になるような気がする。

ノワールとして、正統なのだ。
助演男優賞を獲った、ハビエルバルデムに注目が集まるようだが、あの殺人鬼の不気味さは、俺の中では、想定の範囲内だった。演技も素晴らしいとは思うが、脚本がよく出来ていたのだろうとも思える。
今作を一番魅力的にしているのは、あの特殊圧縮空気の武器だろう。
あれを考え出し、効果的に使う脚本を描いた時点で、この映画の勝ちは決まったと思う。
あのアイデアは、原作にあったのだろうか?
だとしたら、映画化権を持ち、それらを完璧に監督、脚本、キャストに割り振った、
プロデューサーがすごい!!!
コーエン兄弟が兼ねているのかな??

映画としては優秀なのだろうけど、今、自分が欲しているものは無かった。
ただ、やっぱり、コーエン兄弟の映画は観続けないといけないと思う。
同時代の表現者として。いやむしろ、アメリカを代表する表現者の表現として。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

MY BLUEBERRY NIGHTS [映画]

ウォン・カーウァイの初海外作品である。
どうやら、監督さんというのは、違う言語で撮りたくなるものらしいね。
黒澤もやってたし。

映画のプロダクションの順番がわからないけど、彼はどうやって、ノラジョーンズ(ノラは途中で点を打たない方が字面がかわいい)を主役に据えるなどという発明をしたのだろう。
話の大きな流れはたわいのないものなのだ。
となると歌を歌っている姿を見ての一目惚れだったんだろうな。
彼の自分の映画を見据えるセンスはすごいなーと思う。

まぁ、とにもかくにもこの映画は、ウォン作品であり、ノラジョーンズの映画である。
絶対的な映像美とそのロケーション及び演出、絵の据え方、スピード。
どこをどう切ってもウォン作品にしか見えない。それがまず心地よい。
ネオンと夜。これにイロを付ける、ものすごい被写界深度の浅いざらついた映像。
海外で撮ろうが、どうだろうが、人との距離を的確に表す演出の為に保たれるこの映像は唯一無比である。
脚本の前に映像が物語を支配し語りかけてくる。
話はとてつもなくシンプルで大きく3カ所の場所の物語。しかし、それがとても味わい深く、時間に無駄なものがほとんど無い。そして、絞りきった出演者がそれぞれに素晴らしい。そのチョイスがまず素晴らしい。これだけの人数で話が全くつまらなくならないのは、やっぱり、その場所、場所が演者と共に物語を紡いでいるからだろう。それを狙っているのだから、彼の映像美はやはりとてつもない。
そして、ノラジョーンズがとっても自然。そう、自然なのだ。これも監督の意図する所だったのだろうけど、演技を求めたんじゃなくて、動けるような場所を作ってあげたんだろう。その中でノビノビやってる。
前に一枚目がグラミーを獲った時にプロデューサーの人が、「彼女がただ唄ったら良いものが出来たんだ。」みたいな事を言っていたはずなんだが、それと同じ感じがする。実際すごーく細かく見ると、演技してないな。みたいのも見えるんだけど、(歩き方とかね)それは監督が必要としていない部分だろう。
ま、その前に俺がノラジョーンズがとってもタイプだから贔屓目に見てるというのもある。。。
その他の演技人たちは、もう100点満点の出来だろう。ジュード・ロウは、もっとかっこいい人のはずなんだが、あえて2.5枚目位にして、どこにでも居る兄ちゃんになっているが、丁寧に役になっている。
ウォン監督の手腕か?他の看板の警官にしても、その妻にしても、ナタリーポートマンにしても、自然だー。そして、なおかつ重厚に役の性格を被っている。
とにかく映画として、演出が的確に図抜けている。
ウォン・カーウァイは、世界のどこででも自分の映画を撮れる事を証明したわけだ。これはとてつもない事ですよ。やっぱり。

脚本って観点で見ると、少々破綻(説明不足)してしまっている箇所もあると思うけど、
脚本主義の俺が観ても、全然そんなの関係無く「とっても良い映画」に見える。
それほどにとにかく演出がすごい!!

ウォン・カーウァイ。強烈にイロがある素晴らしい映画人です!
また全く毛色の違うロケでやって欲しいなぁ。。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

パンズラビリンス [映画]

麗美なファンタジーを想像して観にいったのだが、ぜんぜーん違って驚いた!!!

軸にあるのは、スペイン内乱の正に人間の恐怖である。
ここにファンタジー(しかもこちらも一筋縄ではいかない)を対比というか、沿わせるというか、なんとも独特な感性で共に描いている。
脚本だけを考えると、このファンタジー部分はかなり甘さが目立つ。かなり唐突すぎるし脈絡が無い。しかし、内乱のほうがあまりに重く、恐く、緊張感を強いる話なので、そこはそれほど気にする所では無いのかもしれない。
監督が描きたかった部分を理解するのは、ちょっと無理かも。。。
ファシズムの描写は、常に緊張感と恐怖が画面を覆い見事の一言に尽きる。この恐怖も描きたかったひとつではあるだろう。ここに主人公の女の子の孤独と恐怖を表現する為にファンタジーの要素を持ってくるという方法も分かる。そして、そのファンタジーもまるで現実世界との調和さえあるように緊張感を持っているのだ。

だからこの場合、物語の緊張感との対比として、映像の麗美を持ってきているのかもしれない。
というか、研ぎすまされた美しい映像の為に、物語があるような気がする。

とにかく”黒”が美しい。。
映画は、光の芸術だから、基礎となるのは、通常光なのだ。
この映画はむしろ逆。黒(つまり光を当てない部分)を見せる為に光が存在している。
しかも光を当てない事により黒を際立たせるという訳ではなく、黒を見せる為に光を利用している。
足し算で黒を強調しているのだ!!
この映像美には度肝を抜かれた。

そして、CGも信じられない位素晴らしい!!
どんな映画よりも昨今のCGの進化を感じさせられた。
ここまで違和感なく、CGキャラを合成出来るのか?!
妖精の動きの美しさは素晴らしい!!!本当に居るようにしか見えない。
うがった見方を途中していて、上記の黒はCGの違和感を消す為の手段なのかな?とも思った。
が、仮にそうだとしても、この美しさを汚すものでも何もない。

スペインの監督さんの描く世界というのは、俺には理解出来ないのかもしれない。
たしか、去年観たスペイン映画に対しても、同じように理解の範疇を越えているような感想を書いたと思う。
つまりは、文化的風土的な事なのだろうけど、そこがわからなくても、作り出される映像の凄さは伝わってくる。
世の中は広い。というか映像の楽しみ方は、本当に千差万別である。

本作。あまりにとらえどころが難しすぎて、判断をしかねる所がある。ありすぎる。
ファシズムの描写は、すごいと思いつつも、個人的には嫌悪を感じるほどだし、しかし、映像の素晴らしさは、ちょっと類が無い位すごい。お話は理解の範疇を越えているし、役者も強烈な個を放ってはいなかった。
好きか嫌いかと分けてしまうと好きではないという感じだが、この映像美は、他の作品でも観てみたい。
やっぱり、世界は広い。まだまだいろんなものを観続けなけれならない。という事を記して今回の感想は筆を置こうと思う。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。