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落語論/堀井憲一郎 [本]

1章、2章と読んでいって、「身もふたもないなぁ~」と思った。
要するに(ま、3章で御本人も言っているが)、落語を分析するという事に
あまり意味が無いという事なのだ。
でも、それをあえてやる為に本書を書いている訳で、そして、それをある程度承知して
こちらも読んでいる訳で、ま、実際それを文章化する事には意味があるんだろうな、
と思う。(自分で書いててもよくわからん。)

ただ、それ以上に3章を「観客論」という視点で書いてある所が、抜群の落語論だと
思う。
これを読んで自分自身の体験に俄然肉が付いた。
いつも、落語会に言った後に、このブログを書こうと思うのだが、言語化がものすごく難しい。
もう少しなんとかなりそうな所で、なんともならない。そう、書けば書く程離れて行く感じ。
書けば書く程、面白い事が伝わらなくなっていく感じなのだ。それをむりくり言語化したいとも
思うんだけど、それにはものすごい時間と労力と技術が必要な感じ。
この本の中にある通り、ライブの中に発生する場の気みたいなものが一番面白いので、それをパッケージするのは難しいです。。
そして、落語を語るのに出て来る個人的感情が「嫉妬」というのもなんとーなく分かる。
人と落語に行ってもね、あまりその事に関して、会話が弾まないんだよね。
話そうとすると、個人が剥き出しになってしまうんだと思う。これは後日ならなんとか
話す事が可能となると思うんだけど、直後に、一緒にライブ体験をした相手には話しづらい。
何か、どすぐろい感情までもが、出て来る感じ。生々しい感じなのだ。

そして、ライブで作り上げるという事。それが落語だという事。
これも最近では、やっと分かって来た感じがする。
大好きな小三治のDVD全集を値段の事もあるけど、なんとなく買うのを躊躇していた。
それは、DVDを観てもつまらないだろうと思ってしまう。もしくは今がつまらなくなってしまう
可能性があるからだと思う。少なくとも現役で生きている方の落語は出来るだけ生で聴こうと思う。
その初めの一歩として、声の良さを確認するのに、ポッドキャストを使う事はアリじゃないかな~
とは思っているんだけど。。。これも甘いのかな。。。声が気になった人は、大抵観に行っちゃう
けどね。。
先代文楽や志ん生や彦六は、もうしゃーないやん。聴けないんやから。でも、音の節が聴いていて
気持ちいいんでね。音楽を聴くのに近い。確かにこれとライブは別ものと考えるべきでしょう。
少なくともライブを第一として、これらの音源には接して行きたい。

この本を読むと、落語に残っている感覚のほうが、頷けるというか自分と合うような気がして、
そこを根底で好きになっているんだろうなぁと思う。死生観とか個人の強さと弱さみたいのとか
が、圧倒的に楽なんだな。それがいいんだろう。窮屈な世の中だもの。

私としては、この本で読んだ事は身には付けるがほっとんど忘れて、
ただ寄席で笑える事を大事にしたいな、いや大事に出来るなと確認出来た本でした。
年400席とかの修行は、著者に任せてね。ありがたいやありがたや。
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