SSブログ

ドガ展 [展覧会]

好きな、どんなものでもそういう事が多いのだけど、「何故好きなのか」というのを説明出来ない。ものすごく多角的な事を一瞬で判断して摑まれる(掴む)からで、それはとても感覚的なものにならざるを得ない。勿論、その直感は外れる事もあるし、時が経つにつれ変わっていく事もある。

ドガに関しては、摑まれたのが最近だったので、自分の中で言葉に落とし込めていなかった。オルセー美術館での一番の収穫が彼で、それ以来の再開だった。

今回の展覧会で、その何故を言葉にする事が出来たので、ここに記してみたいと思う。

それは、単純であるが、彼の視点だった。
それも3つの視点である。
ひとつめは、その絵画的手法としての視点である。彼の絵は、私にはとても被写界深度の浅い
レンズで捉えられたように、ピントが合う場所が物凄くピンポイントで描かれているものがある。
それこそ一点、その箇所にだけピントが合い、後はボケたような描き方をしている。この緩急の付け方が画面にとてつもない緊張感を生んでいる。この緊張感が、他の画家にはない絵の美しさを際立たせているのだと思う。勿論、ピントが合っていないボケた箇所も決して適当では無い。そこにも秩序が存在していて、そのぼかし方が絵全体の美しさをまた際立たせている。
例えば、浴槽の女の絵は、ピントが合うのは勿論女性の部分であるが、周りに配置された椅子の柄
や壁紙の柄がぼけさせて描かれているとは言え、色彩としてとても美しい。
この二つの描き方の方法が絵全体に緊張感を生みつつ、豊かなで伸びやかな感情を抱かせてくれるものだと思う。
付け加えるとすると、実際のカメラではなく絵なので、ピントが合う点を絵の中に距離は関係なく何点も入れる事が出来る。「バレエの授業」では、このように数カ所にピントを合わせる事で、構図や絵を観る視点を向かわせようとしているように感じる。

ふたつめは、題材の切り取り方の視点である。今回の目玉の「エトワール」の踊り子に象徴される美しさ。一瞬の切り取り方。いわゆる決定的瞬間を見い出すのが上手いのだ。それは多く扱った題材と表裏の関係にあり、バレエや馬のような肉体的美しさが際立つものをより効果的に、どのように切り取ると美しく見えるのか、見せたいのかをきちんと研究した成果である。上手いというより研究、研鑽を重ねた上に成り立つ視点と言える。美に対する考察を貪欲に取り組んで作品を作り上げているのだ。
それは、アトリエに残されていた多数の立体からも伺い知る事が出来る。
浴槽の女もかなり不思議な切り取り方だと思う。後姿でかつ、かかんでいるものが多い。
こちらは、裸婦に日常という観点を入れる為に選んだポーズだと思っている。美しさよりも日常の
一コマを浴槽の裸婦で表現する為に。裸婦という絵画では一般的なモチーフで日常を描く。という事をしたかったのだろう。卑猥にならずに肉感的美しさを描く為に選んだポーズだと思う。だから、顔はあえて外すという方法を取ったのだろう。とても面白いと思う。

みっつめは、構図の取り方である。若い頃に古典を模写する事で培った技術をベースに、遠近法と
大胆な構図の取り方で作品をとてもユニークなものにしている。
「エトワール」踊り子と床の配置、余白の使い方、構図を有効なものにする為の光の入れ方など
の構成力がさすがである。(偉そうに書いてるけど、これらが出来る画家が後世に残るのだ)
先ほどの浴槽の女の配置もユニークなものが多い。日本画の影響も受けたという事もあるようだ。ただ、それを自分の中できちんと消化して描いていると思う。

これらみっつの視点と、時代的な変革(と言っても、それは自分で勝ち取ったものが多いんだけど)
で現れたテーマが融合された事で、普遍性をもつ優れた作品、作家が誕生したのだと思う。
そう考えると選んだテーマという視点もありますね。

ドガという画家は、このように複雑な視点を観る側に与えてくれるので、
なんだろう?きっと、いつまでも飽きずに新鮮な気持ちで鑑賞出来る画家のような気がするのだ。
作品の前に立ち、緊張を覚え、微笑みをたたえ、驚嘆し、また再会を楽しみにして別れる。
これから生きていく間に何度会えるか分からない、そのプロセスさえ絵画を楽しむ一部になる
画家だと思えるのです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

シャッターアイランド悪人 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。